仙台で100人村

去る3月17日(土)に、仙台国際交流協会(SIRA)主催の「授業などに活用できる開発教育ワークショップ体験会」で、100人村ワークショップを行ないました。このイベントは、SIRAの担当の田口さんがここ数年ずっとやりたいと思っていた企画だそうで、今回念願かなって実現したもの。わたしも随分まえから依頼をいただいていて、とても楽しみにしていた会でした。
丸一日の体験会のうち、午前中に行なった100人村以外のワークショップはすべて、ファシリテーターの実践を積み重ねて勉強をしてきた「ファシリテーター勉強会」メンバーの学生・留学生・若い先生などが担っていて、とても活気がありました。

ファシリテーター勉強会のメンバー。右端が「みんなの姉さん」田口さんです

100人村の参加者は64人。学生・留学生、公民館や自治体関連の方、学校の先生、日本語支援や環境などのNPOの方、などなど、年齢も文化も属性もさまざまなので、まさに「異文化交流」の時間となっていたと思います。言語の多様性や地域で分かれた時には、留学生が自身の経験からコメントをしてくれました。感想でも「世界が多様だと言うことが実感できた」「たった64人でも個性や考えていることがこんなに違うので、これを世界に当てはめると今まで考えていた以上に難しい問題があるのではと気づけた」というコメントが散見されました。

私が印象的だったのは、富の分配のアクティビティでのやりとりです。

最も少なく分配されたグループになったある留学生は、「援助はいらない。わたしたちは自分たちのところに、もっと資源があると思うので、それで自分たちの力でやっていきたい。援助をもらうと相手に搾取されてしまう」とコメントしました。その意見を意外だと思う人や、「やっぱりわたしは援助が欲しい」と話した人もいました。あとで感想シートを見ると、その方は、自分の出身地で資源が他国に搾取されている一方で、地域の人々にその恩恵が届いていない現状について書いてくれていました。

また別のグループからは、「自分たちも最富裕層のようになりたいので、富裕層のグループにそうなる方法を教えて欲しい」という声があがりました。それに対し、「自分たちがそうなるために、困っている人がいるのではないか」とのコメントも挙げられていました。

こうしたやり取りもあったせいか、感想では「分けること(わかちあうこと)の難しさ」について触れている方が多かったです。

ところで、今回運営にあたられていたSIRAのみなさんやボランティアのみなさんを見ていて、「人が集いたくなる場」を上手に作られているなあと、色々な面でとても勉強になりました。そして何より、とても楽しかったです。仙台のみなさん、どうもありがとうございました!

(西)

コメント

  1. 「世界が多様だということが実感できた」

    というその留学生さんの言葉が印象的でした。

    冷静に考えると、世界はおろか本当に「違う」
    ということで満ちているのに、私たちの脳は、
    「共通」とか「同じ」とか「普遍」とかを
    絶えず求めているらしい。。。

    そう考えたい理由があるんだなあと思いました。

    「共感」とか「理解」とかの要求の根底には
    たぶん、そうした「前提」が求められるのでしょう。

    若いうちは相違点を見つけて楽しんでいた自分も、
    年齢を重ねてエネルギーが減少?するにつれて、
    共通点にばかり目が向くのも感じます。

    でも、ないですか? え、私だけ?

    感じ方ひとつで、違いも同じように見えて
    くる。。。老眼的見え方かな?

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