岩見沢・三笠「鉱と大地の記憶がぎゅっと詰まった小旅行」レポート

こんにちは。評議員の近藤です。
第33回開発教育全国研究集会は、北海道の実行委員会の皆さんのご尽力のもと、盛会のうちに終わりました。
本当に、お疲れさまでした。
ありがとうございました。

さて、プラス企画として設けていただきました、エクスカーションのご報告を少し時間が経ってはしまいましたが、させていただきたいと思います。
ちょっとでも、どんな感じだったのか、伝わるといいです!


私は、三笠・岩見沢炭鉱コースに参加しました。
スタッフの西さん、副代表の湯本さんもこちらのコースでした。
偶然です。好みが似ますね‥。


まず、岩見沢駅を降りてすぐ、ホームにあった働きもののそり馬です。
つい、はしゃいで乗ってしまいました。

最初に案内してくださったのは、北海道環境パートナーシップオフィスの溝淵さん、NPO法人炭鉱(ヤマ)の記憶推進事業団の酒井さんです。

岩見沢駅は、建築のデザイン賞をいくつもいただいたようなすてきな駅です。建築には鉄道資材が使われています。
北海道最古の幌内鉄道は炭を運ぶために敷かれ、「機関車トーマス」でしかみたことのなかった、転車台も遠くにみることができました。
石炭は針葉樹であるメタセコイヤの化石だったそうです。


駅からみえた現在もレールセンターです。
開拓使の旗にあった星のマークもうっすらみえます。


炭鉱の記憶推進事業団の事務所にお邪魔をし、炭鉱の説明をしていただきました。


炭鉱は、1930年代から1995年まで稼働していたそうです。
筑豊で有名な九州は歴史が古く、江戸時代前からあったため、農村社会に炭鉱開発が入り込んだ経緯があり、市民の間でのなわばりがあったそうです。
一方、北海道は明治期からで、もとは自然の地域であり、会社や企業が中心に開発され町がつくられていったそうです。解説は、ホームページにも詳しく掲載されています。

次に待ってましたの腹ごしらえです。
三笠ジオパークの下村さんも案内に加わりました。
石炭がとれるということは化石の宝庫、つまり地層の宝庫(?)でもあるわけです。そのあたりをご解説いただきました。


三笠のジオ弁当〜〜〜❤
解説いたします!!!!!
・地層そぼろごはん
・アンモナイトを表現した海老フライ
・ザンギ(鳥の唐揚げ)黒い石炭を表現
・大雪ポテトサラダ
・車輪型シューマイ
・なんこ(馬のホルモン)
・レンコンの梅和え

おいしいお弁当でした。
そして、住友奔別鉱の立坑(垂直に掘り下げられている坑道)の見学に行きました。



立坑が深部採炭を可能にし、当時は「東洋一の立坑」と呼ばれていたそうです。深さなんと735メートルもあります。
ちなみに東京スカイツリーは634メートルです。
その深さへ、労働者はエレベーターのようなもので入って行ったそうです。

この炭鉱は11年だけしか稼働せず、短かったそうです。
理由としては、深すぎるあまり労働環境が悪く、札幌オリンピックでの都市開発へと労働者が流れたといいます。
鉱員は、「けがと弁当は自分持ち」だったそうです。

1971年に閉山後は、コンクリート会社が使っていたとのことです。
選炭工場がヤマの中腹にあり、ベルトコンベアーで運び、石炭を入れます。
選炭機ホッパーの入り口と中です。



1階に列車があり、2階から石炭を入れる仕組みになっています。
日本一大きく、貨車3列入れます。

不法投棄の山になってしまっていたこともあるそうですが、
現在は、独特な空間を使って、アート展が開催されていたりするそうです。

次に、三笠ジオパークに移動です。
案内は、下村さんにバトンタッチをしていただきました。
博物館は絶対に楽しそうでしたが、閉館日。残念。
北炭(北海道炭鉱汽船株式会社)幾春別鉱錦立坑を訪れました。





この三笠ジオパークのすごいところは、歩いていると一億年時間旅行ができてしまうんです!!
地層が縦になっているので、歩きながら時間を移動できてしまうわけです。
炭鉱エリアからアンモナイトなどの化石エリアに移ったときもどきどきしました。


補足ですが、岩見沢駅ホームの馬は、深部の坑道で働く馬です。
ちょっとしたことで発火などをしてしまうため、荷運びは馬が一番だったとのことです。
しかし、馬を上に運ぶのはなかなか大変だったため、
めったに太陽をあびることができなかったそうです。

素晴らしい自然と、近代の歴史を丁寧にたどれた素晴らしいツアーでした。
正直、家族旅行でもう一度来たいなと思いました。

ありがとうございました!
(報告:近藤牧子)

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