韓国の国際シンポジウムで報告しました

こんにちは。事務局長の中村です。
11月18日(水)に、韓国の教育開発協会(Korean Educational Development Institute/KEDI)が主催する「地球市民教育に関する国際シンポジウム~21世紀の先生のために、地球市民性教育への旅」にゲストとして参加しました。


シンポジウムはソウル市の中央郵便局の最上階にあるホールで開催され、教員やNGO、自治体や国際機関などから100名の参加者が集いました。KEDIの研究「韓国の学校におけるGCED※の実践と課題」の一環として、世界のGCEDの取組の現状や課題を共有することが目的です。報告者は私の他に、カナダ、英国、韓国の研究者、実践者でした。
※GCED=地球市民性教育(Global Citizenship EDucation)

カナダからは、アルバータ大学の教授、Karen Pashby氏が「多文化社会の中の地球市民性教育-国内・国際的な視点からカナダの事例」というタイトルで、多文化社会のなかのGCEDを批判的な視点で報告。200以上の民族が住む多文化社会、カナダの教育は州によって異なり、国定カリキュラムはありません。ご自身も高校で教えていた時に、クラスには40の言葉が話されていたそうである。しかし、生徒がそれだけ多様なのに、教員は多様になっていない、と言っていました。

多文化教育のチャレンジとして挙げていたなかで、以下の2つが印象に残りました。
  1. 人種差別主義の根本的な原因や植民地主義を扱っていないこと
  2. 「不適切な教育(mis-education)」について考えるべきである。(指導者は)常に注意を払い、不快に思える声や、教える準備ができていないことに気づくことが重要である。
批判的なGCEDの「批判的」の意味は、
  • 正解・不正解、偏っている・偏っていない、良い・悪い を超えていること。
  • 学習者が、自分自身の経験の枠組みに気づき、そのトピックにどのようにアプローチするかを考えるスペースを与えること。
  • 異なる人生経験は、異なる世界観をもたらすことに気づくこと。
  • 見えにくい、繰り返される不平等な力関係を見えるようにすること。
これらはまさに、開発教育をはじめ、変革を目指す教育におけるチャレンジだと思いました。カレンさんはヨーロッパでも活動しており、今回招かれた理由は、ツイッターのつぶやきを、ユネスコアジア太平洋国際理解教育センター(APCEIU)の職員が拾い「批判的だから、ぜひ、話して」と言われたそう。

韓国からの報告は、「韓国の学校におけるGCEDの実践と挑戦」と題して、KEDIの李氏と延世大学の朴氏によって行われました。韓国政府は、2016年より、GCEDを進めるための予算を、年間22億ウォン(約2.2億円)準備しているという。

しかし、調査によると、100の小学校・中学校・高校の中で約30%の学校が実施していると答えているが、2000人の教師の6割がGCEDを聞いたことがない、という結果が出たとのこと。日本のESDと少し似ている。実施のためには、制度的にも支援が必要であり、学校文化も含めて変えていくことが必要で、そのために各自治体からの資金的援助が必要だと、結論付けていました。

英国からは、Think Global事業部長のMonika Krusemann氏から「挑戦と変化-英国の学校におけるGCED」と題しての報告が行われました。Think Globalは、もと英国開発教育協会(DEA)。数年前から、開発教育という言葉の代わりにGlobal Learningを使い、政権が変わっても、資金を得られるように、団体名もThink Globalに変えています。

英国政府は、今までのように各地の開発教育センター(DEC)などを複数支援する代わりに、英国全土の約半数の学校にグローバル・ラーニングのプログラムを実施することを目的に、大きな機関(NGOも企業も含む)に絞って事業を委託しています。Think Globalはこの事業を受託している機関のひとつ。グローバルラーニングの難しさとして、以下の4つが挙げられました。
  1. 学校の政策とリーダーシップ
  2. 資金
  3. 内容
  4. カリキュラムと評価
内容については、複雑な世界の問題を教えるのに、教師の自信がないことが挙げられました。そして、世界の“北側”の意識を改めることが重要であることも。しかし、グローバル・ラーニングは、公式なカリキュラムではないので、評価が十分ではなく、そのため、注目を集めることが難しい、という悪循環になっていること。

また、評価については、授業前と後で生徒自身がアンケートに答え、自分の学びを確かめることができるウェブページがあり、面白いと思いました。

そして、日本からは中村が報告。GCEDがテーマであったが、日本には、地球的な課題を扱う教育活動がたくさんあることを説明し、開発教育の説明やDEARの活動をお話ししました。また、既に韓国語に訳されているDEARの教材も紹介した。ESDの好事例として、ホール・スクール・アプローチで進めている、横浜市立永田台小学校の事例を紹介させていただきました。

特に、先生方が持続可能な働き方をするために、事務作業を減らす話し合いをしている、ということに、共感の声が上がっていました。

日本における市民性教育の可能性、難しさと共に、GCEDやESDを授業だけでなく、学校全体、地域全体の文化として進めるための方法、そして、GCED・ESDは、新しい教育目標のなかで、変革のための教育として紹介されているが、変革のための教育であるならば、現在の政策や制度、教育のあり方を見直していく必要があることを、問題提起しました。

結果的に、カレンさんやモニカさんの提起した課題と共通点が見えてきましたが、今回のシンポジウムは、それを議論するのではなく、各報告者に対するコメンテーターがコメントする、というものでした。

私の報告についてのコメンテーターは、ソウル市の高校の校長先生で、自分自身の学校で行っているプログラムを紹介しました。また、NGOの役割について質問があったので、NGOと教員が一緒に研修をしたりプログラムを開発することの重要性を話しました。韓国には、既にESDや国際理解教育の実績、多様な市民活動がありますが、それらとGCEDはあまりリンクしていないようでした。

今回、参加者が質問する時間はほとんどなく、聞く一方であったことは残念でした。報告後、多くの参加者から、教材やプログラムについて関心があると、声をかけられました。分科会などを設けたりして、もう少し話す機会があると良かったと思います。



GCEDやESDを本当の「変革のための教育」にするために、やはり、今までの延長ではない枠組みや思考が重要だと改めて思いました。カレンさんが批判的アプローチの中で「何をアンラーン(学びほぐす)することが必要か考えること」を挙げていました。特に多数派の意見、力をもっている側の発想、当然と思っている考えを、一度捨ててみる、そこから見えてくる世界があるはず。このような議論を国内・外ですすめていくことは、とても大切だと改めて思いました。
最後にこのような機会をいただいたことに感謝いたします。
(報告:中村) 

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