「YMCA地球市民育成プロジェクト2016」レポートその(2) ハンセン病療養所への訪問

※レポートその1はこちら

8月31日(水)にはフィールドワークがおこなわれました。
最初に行ってきたのはハンセン病療養所である神山(こうやま)復生病院でした。83歳になる元ハンセン病患者の藤原さんという方にお会いし、海外参加者のために英語通訳を付けながらお話しを伺いました。
ハンセン病への理解とここで暮らしてきた方々の歴史を後世に残すための記念館もあります
藤原さんは車椅子に座ってお話をされていましたが、わたしたちのことを気にかけてとてもわかりやすくお話しをしてくださる、とても丁寧な方でした。多くの参加者にとって、ハンセン病経験者の方に会うのは初めての経験でした。

12歳でハンセン病を発症してから、家族や兄弟と離れ今まで一度も会わずに療養生活を送っている藤原さん。

当時入所していた岡山の国立長島愛生園から東京の多摩全生園へ移ったのち、結核を発症したため、受け入れてくれた神山復生院へと再び移りました。神山復生院では、当時2つの死の病と言われたハンセン病・結核を、カナダから来たシスターや牧師さん、医師が、献身的に介護してくれました。

ハンセン病と聞くと、絶望的な生活をずっと送っているのかと思われるかもしれないけれど、そんなことはないんですよ」と穏やかに話してくださる藤原さん。

神山復生病院では地域との交流もあり、地元のお祭りに参加したり、地域の人とも交流もありました。旅行へ行くと言っても、すぐに「行ってらっしゃい」と送り出してくれ、藤原さん自身もネパールとインドへ2か月ほど旅行に行ったことがあるそうです。

しかしながら、ハンセン病患者として苦しい経験もたくさんありました。

入居していた当時、病院にいた患者は150人にものぼったそうですが、兄弟が結婚をする時に自分の存在が相手に知られると迷惑をかけてしまうからという理由で、多くの若者が20歳前後になると自ら命を断つことを選びました。

藤原さん自身も死を考えたことがあるそうです。ですが、「純粋に死が恐ろしかった」とのこと。幼い時に、偶然山で首つり死体を見てしまってから、死ぬことの恐ろしさを良く知っていたのです。

また、小さい時に家族と離れてから家族の消息は全く分からず、親も亡くなっているだろうがいつ亡くなったのかも知らない。兄弟が何をしてどこに住んいるのかも分からない。そんな状況下で、自分が社会からも誰からも必要とされていないのではないかと感じたことは、たまらなく何よりも辛かったそうです。

そんな中で、神様を信じ、他の誰が必要としなくとも神様だけは自分を必要としてくれていると感じるようになったことで、すこし穏やかに過ごせるようになったそうです。
敷地内の「かえでの森」
「いまでは、すこしでも動く自分の体を人のためにどう使うかを考えています。生きていれば人生には本当に色んな事があり、もちろん辛いこともたくさんあるが、それを人生に必要な試練だと思えるとそれを自分の糧にできます。人にしてあげた事ばかり覚えている人が多いのが事実だが、人にされたことを考え、自分がどれだけ多くの人に支えられているかに気づける人が増えると、社会も変わってくるのではないか」とお話しされ、次の言葉で締めくくりました。

「子どもを馬鹿にするな、それは自分の通った道。年寄りを馬鹿にするな、それは自分が通る道」

少し早目の英語通訳であったためか、海外参加者にとっては少し理解が難しい箇所もあったようでした。しかし、体験に基づく心に迫るお話を聞くことができ「とても印象深かった」という意見が多くの参加者からあがりました。
(報告:中川)

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