2017年2月21日火曜日

世界がもし100人の村だったら@よこはま国際フォーラム

2月5日(土)、JICA横浜で実施されたよこはま国際フォーラムにて、DEARでは「世界がもし100人の村だったら~SDGsを一緒に考えよう~」というワークショップを実施しました。DEARスタッフの伊藤・小口がファシリテーター、ボランティアの木村がアシスタントを担当しました。

多くの団体が盛況に催し物を行なっている中、始まる前は「参加者が少なかったらどうしよう」と不安に思っていました。しかし準備をしているとすぐに、壁に沿って輪のように椅子が並べられた狭い会議室は人でいっぱいに!参加者は小学生から年配の方まで、本当に老若男女様々でした。

まずはアイスブレーキングとして「行ってみたい世界の地域」ごとにグループを作り、「その中でどこの国に行きたいのか?何故か?何をしたいのか?」また「今まで行った国で経験したスゴイこと」などを共有してもらいました。

「体験したスゴイこと」では、「タイに行った時にトイレに紙が無く、横にあったシャワーでお尻を洗った」という共有もあり、参加者からは驚きの声が上がりました。


いよいよ、100人村のワークの始まりです。参加者一人ひとりに運命の「役割カード」を配布し、「カードに書いてある言葉で挨拶をしながら同じ言葉の仲間を捜してください」と伝えると、アイスブレーキングで場が和んできたからか、大きな声で挨拶する人がたくさん!

グループができたところで、「一番多く話されている言葉は?」と聞くと「英語!」という意見が多かったですが、一番人数の多いグループが「ニーハオ!」と言うと、「ああ~!」と「ええ~!?」の二通りの声。このワークを通じて、国の数と言語の数の差、宗教と言語の関連、植民地のつながり、日本にも言語が複数あることなどを学びました。

次に、大陸を表した紐の中に入るワークでは、余裕で座ることが出来る他地域と比べて座ることが出来ないほどギュウギュウなアジアの人口密度の高さが浮き彫りになりました。さらに、CO2排出量を表す紙をグループごとに配ると、アジアの紙の枚数の多さに他の地域からはブーイングが起こりましたが、人数で割ると北アメリカの方が大量に排出していることが分かり驚いていました。

大陸ごとのCO2排出量を比べてみると‥(展開のためのアクティビティ「地球温暖化を考える」)
また、富を表す30枚のクッキーを富のレベルに応じて5グループに配分するワークでは、はじめにグループごとに自分たちがもらえるであろうクッキーの枚数を予想し、発表しました。

一番裕福なグループが「20枚」と言うと、周りのグループからは「それはもらいすぎだ!!」との声があり、最終的に全グループの予想を合計すると予算オーバーの37枚に。続いて実際にクッキーを配ってみると、1番裕福なグループは予想より多い枚数で、1番貧しいグループは1枚すらもらえない結果に。クッキーが渡される度に大きな驚きの声が上がり、一番の盛り上がりを見せていました。

裕福なグループがまず1人1枚分けて残りはどうしようかと話し合う横で、貧しいグループは0.8枚を6人で分けようとして粉々に崩れ、嘆き声が響いていました。スタッフが「どうぞ自由に食べてください」と言うと、続々とグループ間のお裾分けが始まりました。1人1枚食べることが出来ないグループからもより貧しいグループにクッキーのお裾分けがあり、優しさにあふれたあたたかい雰囲気になりました。

所得が多いのは‥?
最後に、このワークショップのもととなった「世界がもし100人の村だったら」の文を輪読し、一番気になった部分が同じ人同士で集まり、なぜそこが気になったのか、なぜこのようなことが起きているのか、などを話し合いました。

「世界がもし100人の村だったら」のメッセージを輪読
初めて知ることばかりの参加者の多くは、世界の大きすぎる格差に愕然としつつも、自分の立ち位置を探り、どうすればいいのかを話し合う良いきっかけになった様でした。

挨拶で仲間を捜したり人口密度の高い紐の中に入ったり、かけらのようなクッキーを食べて多様な世界を感じると共に、自分が、クッキーの3分の2以上を握る裕福なグループの一員であり、100人の村の裕福な上位8人の内の1人であることを身を以て実感する時間となりました。

やはり実際に動いて話して自分でない人になることで、外側から自分自身と世界との繋がりを見直すことが出来る参加型学習はとても楽しいと感じました。
(報告:木村明日美)

2017年2月7日火曜日

あってよい違い・あってはならない違い~なんで差別が起こるの?

2016年11月18日に川崎市のフリースペース「えん」で、今年度3回目のワークショップを行いました。

今回のテーマは「あってよい違い・あってはならない違い~なんで差別が起こるの?」。ここ最近、アメリカでは大統領選挙後に移民に対する排斥運動が過熱し、日本では沖縄での機動隊による「土人」発言が問題になりました。なぜこうした行動や発言が生まれてしまうのでしょうか。「あってよい違い」と「あってはならない違い」とは何なのでしょうか。

ワークショップを通して、身の回りにある差別・ステレオタイプや、世の中の「常識」を批判的に考えてみることが今回の目的です。


初めは伝言ゲーム。
写真を見て題材を当てるのですが、今回の題材は「スケボーをするおじいさん」、「車いすのファッションモデル」、「髪の長い男の子」などなど。少し意外な組み合わせの写真です。「子どもたちはちょっと苦戦するかな」と思っていましたが、拍子抜けするほどズバズバと当てられてしまいました。「○○な人だから…といってできない事はない」、「あきらめちゃうのは社会が誘導するからだよ」との声が。


途中、サルサを踊る80歳のおばあちゃんのムービー(こっちまで元気が出る!)を挟んだり、見た目とは裏腹に強烈な味(とにかく辛い!)の「長野産わさびチョコ」をつまみました。



続いて視聴した「キミの心の“ブラックピーター”」は無意識の人種差別を題材にした作品です。そのうちの一場面から「自転車泥棒」を題材としたパートを取り上げました。

オランダのとある公園で、一人の男が木に括りつけられた自転車の盗難防止チェーンをペンチで壊そうとしています。男の目的は自転車を盗むことです。白人男性・黒人男性・モロッコ系男性の3人それぞれにチェーンを壊してもらい、周囲の人の反応を見比べます。

白人男性がチェーンを壊している時は、周囲を歩く人たちが怪しむことはありません。なんと、切りやすいように自転車を抑えてくれる人や、工具を貸してくれる人まで現れます。

反対に、黒人男性やモロッコ系男性がチェーンを壊していると、いぶかしげに眺める人や、「現場写真だ」といって写真に撮る人、警察に通報する人もいます。

やっていることは同じなのに、なぜこんな差が生まれるのでしょうか。
子どもたちからは
「差別だ。見た目だけで判断している」
「黒人だから、とか先入観で判断している」
「うちの父親も、子どもだから音楽なんて早いって言ってくる」
との反応。たしかに、わたしたちの身近にも同じような「無意識の」差別が溢れていませんか?女だから、男だから、子どもだから、高齢だから、障がいがあるから…

そんな話を受けて、最後にアクティビティ「ちがいのちがい」に取り組みます。様々な「ちがいカード」をもとに、「あっていい違い」と「あってはならない違い」を考えていきます。

「ちがいカード」には「日本では食事に箸を使うが、インドでは指を使う」「A校では女子の制服はスカートだけだが、B校ではズボンも選べる」「女性専用車両はあるが、男性専用車両はない」といった様々な「ちがい」が書かれています。

制服に関してのカードが出た際には、「日本では政府が揃えさせたいんじゃない?」「先生になんで制服なの?って聞いたのにまともな答えが返ってこなかった」とのこと。

また、「日本では自己主張するとでしゃばりと非難されるが、アメリカでは自己主張をしないと低く評価される」というカードでは、「学校でおとなしくキャラ変わるってわけわかんない」という声もあれば、「学校では無難に普通にしてる」という声もありました。


「普通に」「無難に」という言葉が持つ力、切り捨ててしまうものの大きさに、子どもも大人も目を向けるきかっけになるワークショップだったような気がします。「えん」に集まる子どもたちは、とてもいい意味での「普通じゃない」環境で過ごすからこそ、今回のような忌憚のない声が聞けたのかもしれません。

「普通」ってなんだろう。帰り際、考えながらおよそ2時間半宇都宮へ帰りました。
(高階 悠輔)