世界教育フォーラム(WEF)in 仁川 報告5


本会合2日目

午前中の全体会では、各国の政府が、15年の成果と今後の展望を話しました。日本も、前川喜平文部審議官が日本のEFAへの貢献の成果と、ESDの重要性、そして、今年中に新しい援助政策を市民社会や企業とともに検討していくことを話されました。

それぞれ3分ずつのリレートークのようになっていて、簡潔に報告されていましたが、アラブ連盟の方の「アラブ社会の多くの子どもたちが危険を感じながら、教育を受けている。この15年で状況はかなり変わってきている。ポスト2015の行動枠組みには、非常事態における教育について考えていかないといけない」とという発言が印象に残りました。


分科会「質の高い教育を重視した生涯学習」

その後の分科会では、「質の高い教育を重視した生涯学習」に参加しました。グローバル・モニタリング・レポート(GMR)によると、25千万の子どもたちが基礎的な力をつけておらず、2億人の若者が、必要な技術を身につけずに学校を去るとレポートされています。

教育の質については、その社会の文脈・個人の文脈に合ったものであること、そのためにも、環境の整備や教員養成はもっとも重要であること、が話されました。特に印象に残ったのは、政府やユネスコ関係者に混じって登壇した、ウガンダの教員の発言でした。

  • 教育は何のためなのか?経済発展のためでなく、個人の可能性を伸ばし、コミュニティに役立つ力をつけていくことではないか。
  • 何のために、教育が必要なのか、そのための読み書きを学ぶことでないと意味がない。
  • 評価、アセスメントも何のためなのか。ウガンダでは、資金提供者(ドナー)のニーズに沿ってアセスメントをしている。
  • 世界の生徒の半分は、先生の話す言葉を母語としていないことについては、母語の問題は私立の学校では支援ができるので、良い結果が出てるが、公立では問題である。そこに大きな格差がある。
  • 進歩ばかりをもとめていくのは問題である。先生と子どもの声を聴いていくことが必要である。
現場を知っている教員の、説得力のある言葉でした。

ESD/GCEDの分科会「平和で持続可能な社会に向けた教育と学び」

午後は、「平和で持続可能な社会に向けた教育と学び」というESD/GCEDの分科会に参加しました。登壇者は、文部科学審議官の前川さんや、ガーナの文部大臣、ブラジルの教員で組合の次長、オーストラリアのユース代表など。ユネスコのディレクターのチョイさんが司会でした。

※ESD=Education for Sustainable Development/持続可能な開発のための教育
※GCED=Global Citizenship EDucation/地球市民性教育

そこでは、「なぜ、新しい教育目標にはESD/GCEDが入ったのか」「ESD/GCEDは生徒に批判的な思考などの力をつけていくが、それは政策策定者にとっては問題なのではないか」「連帯のための教育と、競争のための教育は両立するのか」などの質問をしました。

ESD/GCEDの必要性については、災害や紛争などの問題がますます深刻になり、市民性や民主的社会参加がますます重要になっていること等が挙げられ、政策策定については、民主的なプロセスの重要性、若者の声を聴いていくことの重要性などが話されました。

「きれいな言葉」が並んでいたので、「どのように、ESD/GCEDを進めるのか」「そのプロセスを市民社会とつくること、地域が主体となって教育を進めることについてどう思うか」を質問しましたが、それについては回答を得られませんでした。「絵に描いた餅」にしないように、具体的な行動計画を作ることが重要だと思います。


全体会での象徴的な事件

最後の全体会では、今回の会議で感じていた違和感を象徴した事件がありました。

「開発をすすめる教育~韓国の事例から」と題し、ジェフリーサックス氏が司会となり、世界銀行や、各国の大臣が登壇。実は私は少し早く会場を出て、その場にはいなかったのですが、後から聞いた話によると、全体会の最中にずっと手を挙げていた韓国のNGOの女性スタッフがいたそうです。しかし、既に時間が過ぎていて、質問の時間はない。それでも、彼女はマイクを使い「ここには、聞かれていない声がある」「壇上には男性しかいなく、女性の声は反映されていない。自分たちには声を発する機会ももらえていない」と、発言しかし、マイクは途中で強制的に切られ、彼女はマイクなしで発言を続けたそうです。今回の会議で韓国政府の代表は60人もいるのに、韓国NGOの代表は6人だけ。彼女はそのうちの一人だった

唯一良かったことは、会場からは喝采が起き、セッションが終わった後、メディアは彼女のもとへ集まったとそう。今回の会議、そして、社会の構造的な問題を象徴しているように見えます。せめて、壇上の一人が、彼女を擁護する発言が出来たらよかったのに‥。そもそも、発言者を考える時になぜ、ジェンダー平等が考慮されていなかったのか。参加や開発を考えるうえで、重要な課題提起となる出来事でした
韓国のNGOスタッフと
5/20 中村)

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